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古い一軒家をシェアハウスに改装


住宅と商店が入り混じる街並み 池袋駅から西武線の各駅停車で一駅いったところに椎名町がある。駅前にちょっとした商店街が伸びているが、周辺は住宅街だ。どちらかというと庶民的な感じのする街で、小さめの家々にはさまれてポツンポツンとたばこ屋や寿司屋、銭湯、中華料理店、町工場などが点在する。そんなだから、駅前と住宅地との境目はあいまいで、ある意味ずっと駅前が続いているような感じがして、そのまま北上して歩いていくと、有楽町線の要町駅に到達する。また、南方向に歩くと、大江戸線にぶちあたる。要するに、あちらこちらと歩いて回れる。道路も狭いから、車もあまり通らなく、この車社会の現代にあって街がどこかとても人間味を感じるのはそういうことなのだろう。 庶民的とは言ったが、広い庭園のあるお屋敷も少なくない。歴史をひも解くと、「池袋モンパルナス」と呼ばれ、かつてはこの周辺には多くの芸術家が活動し、住居兼アトリエの拠点を構えていた。大正から終戦後くらいまでの時代の話しだ。時代はややずれるが、手塚治虫など漫画家が集まった「トキワ荘」があった場所もこのエリアだ。しかし、そのような熱い歴史にも関わらず、今は割とひっそりしてしまっている感はある。 不動産的に価値のない建物? このど真ん中に、昭和47年に建てられた木造のアパート兼住居があった。見ため古い。不動産の視点から見ると、まず、この建物は道路に面していない。玄関まで、細長い未舗装の路地を通らなければならない。途中、隣に同じような年代に建てられたと思われるアパートの敷地を横切るようなところもある。敷地の境界線が不明確である。建築の法律で、道路に基準以上接していない土地では建物が建てられないことになっているから、建て替えができない場合がある。そのような土地は価値が大きく目減りする。境界のあいまいさも、権利トラブルとなってしまう懸念がある。調べると、この土地はそもそも借地になっていて、土地の所有権は地主のもので、毎月地主に地代を払う借り物だ。借地契約は建物が朽ち果てると終了となるので、借地の権利を守っていくには、建物を大事にしていかなければならない。しかし、その建物が古ぼけている。昔の建物は耐震性が怪しい。間取りや設備が今時でないから、これから先、誰が住んでくれるのかも分からない。

空き家同然となった実家にまずは住んでみる 長年ここで暮らしてきた祖母も娘夫婦のところへ引っ越しをして、アパートの住人もほとんどいなくなり、いよいよ空き家同然となったこの実家に、長田(おさだ)さんは越してきて、住みはじめた。古くて夏は暑く、冬は寒く、住むには何かと不都合なこの家にあえて住んでみたのは、長年温めてきた構想があったからだ。長田さんは、かつては大手の住宅メーカーで仕事をし、その後仲間と起業をして、マンション向けのコミュニティ形成支援ビジネスを手掛けているが、そこでも一貫して長田さんの住まいや暮らし方に対する深い思いがあった。住まいには作るところからもっと深く関わるべきということと、作るにも暮らし方をもっと考えて作るべきという理念だ。長田さんは、多くの外国での長旅をし、そこで出会ったいろんな国の現地の人々との交流の経験も、その考え方に大きく影響している。ところ変われば、文化も違い、暮らし方も違い、住まい方も様々だ。それが自然のはずだが、今の日本ではその当たり前がそうでなくなってきているような気がする。もっと楽しい暮らし方があるはずなのだ。その実践の機会をずっと模索していた。 シェアハウス構想が具体化していく 住みながら、初めは友人を呼んで宴会ばかりやっていたが、そのうちにこの家に住みたいという者も現れ、シェアハウスにする構想が具体化していった。共用のリビングでは、パーティをやったり、みんなで映画鑑賞をしたり、楽器を演奏したりしたい。しかし、今の造りのままでは使いづらいため、手始めに壁や天井を壊すことからやり始めた。どうせ、一度は建物ごと解体してしまう話もあったくらいだから、構わないと思った。それでも、最初の頃はおっかなびっくり壁にハンマーを打ち込んでいたものだが、すぐに慣れて、だんだん面白くなってきた。安全に配慮するために、建築士の友人(田口さん)に建物構造をチェックしてもらいながら進めた。この楽しみはいろんな人に経験してほしいと思い、「壁を壊す会」と称してイベントのようにして友人を中心に声をかけた。壁を壊す時の「儀式」として、まず壁に「自分の中の壊したいもの」を油性ペンで書き、それをめがけてハンマーを振り下ろしてもらった。このユニークなイベントには、口コミが口コミを呼んで、マスコミの取材が来るまでに発展した。

壁がなくなって部屋が見渡せるようになり、天井がなくなったことでむき出しになった木の梁と高い天井とで、空間の雰囲気が次第にイメージしたものに近づいてきていることを実感した。シェアハウスの名前も「ユウトヴィレッジ南長崎」と決まり、ロゴも作った。変化していく空間を見ながら、プランニングを進めた。書き上げた図面を知人に見せながら、入居者も募った。まだいつ住めるようにかなるも分からない状態だったにも関わらずだ。住む人ばかりではない。住人向けのサービスとして、産地直送の野菜や魚介をいつでも食べられるようにしたいと考え、提携する農家との試行錯誤もはじめた。イベントをやるパートナーも広げていった。ヨガ、書道、アロマ、花など、それぞれの専門家がパートナーに名乗りを上げてくれた。

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